今の生活の延長線上にある理想像
今週のお題「理想の老後」
目次
老後に向けて望むもの
老後に至るにあたってロマンが欲しいです。
一生懸命に這い上がろうと生きたところで、その果てに良い理想像がない現実をどうにかしたいのです。
自分がなり得る魅力的な理想像
たとえば面白いゲーム(主にRPG)において、キャラクターを成長させることは刺激的な世界観(たとえそれがホラーや荒廃した世界であったとしても)の中で興味深いストーリーを進めることになり、そもそも魅力的なキャラクターをより魅力的に磨いていくことは楽しいものです。
ところが現実の私は能力を高めたところで魅力的なキャラクターではなく、魅力的な将来の理想像があり得ないのです。
いわば面白くないゲームで魅力のない気に入らないキャラクターを操作してつまらないストーリーを進行させるかのように、現実の活動(ひいては人生)にいまいち熱中することができません。
これは老後を待つまでもなく、昔から直面している問題です。
職業能力の高さを目指すのはどうか
本業の職業能力を仮に高められるとしても、ますます残業まみれになってしまうような地位についてしまうことはご免です(もちろん本業を失ってしまえば生活が困窮してしまうので必死に這い上がらなくてはならないことに疑いはありませんが)。
趣味の実力と実績を高めるのはどうか
趣味(ゴルフ、歌、写真、ブログ)で仮に高い実力を発揮できるようになれたとしてもどうでしょう。ゴルフや歌ならば周囲にもそれなりに高い実力を持つ人はちらほらいますが、そんな彼らも結局私の同業者です。
その実力にあこがれることはあっても、彼らのような人物になりたいとまでは思いません。
次世代の誕生・育成にかかわってはどうか
やはり次世代でしょうか。
たまに自分の人生に希望を持てなくなった人たちが自分の子供に過剰な期待をよせてしまう話(そしてその子供はあまり幸せなことにはならない展開になりがち)を目にします。
それはつまり子供がいれば自分の人生の希望のなさを埋められるということかもしれません。
例え将来の私が、今の私とまったく同じ希望のない生活であっても、それは「家族のために頑張っている親」と自認しつつ社会的にも礼賛されるのかもしれません。
彼らの心理的なメカニズムはともかく礼賛することはやぶさかではありません。
そんな彼らによってこの国に限らず次世代は産み育てられ続けているのですから。
。。。駄目ですね。私の性格は私自身がその道を歩むことを許しません。
理想像の模索は続く
そういえばと部屋の隅につまれている本の山から一冊を抜き出しました。
「スーパースターだって、アイドルだって、受験の合格者や人生の成功者だって、みんな『つまらない』毎日なのよ。放っておいても、面白くて楽しくてたまらない人生なんて、ありえない。それは、あなたの嫉妬の世界の中にしか、存在しないわ」
「みんな、つまらないの。さびしくて退屈で、しょうがないの。その中で、とにかく自分なりの精一杯の面白さを探すのよ。そしてその中で、一生懸命、笑っている。それができた人こそが、『楽しんでる』ように見えるのよ」
引用元:ゆうきゆう著「ゆうき式逆転発想勉強術」P.91 (株)スリーエーネットワーク 2006年
つまりは模索していくしかなさそうです。
今の生活の先にわくわくするような理想像(人はこれを「夢」と呼ぶ?)はありませんが、模索しながら日々を過ごしていく中で何かしら目指したくなるような理想像や、ヒントが見つかるかもしれません。
願わくば時間切れとなってしまわぬうちにまだ見ぬ理想にお目にかかり、さらには手を届かせたいものです。